美川ふくさげ祭り

白山市の美川地区は、平成の合併以前は石川郡美川町でした。
この美川町は古くは本吉(もとよし)と呼ばれて港町として栄えた町で、室町時代には三津七湊(さんしんしちそう)と呼ばれた日本国内の十大港湾として記載されていました。

三津七湊の名は日本最古の海洋法規集の廻船式目(船法度、13~15世紀に成立)に出てくるのですが、、
三津・・・安濃津 (あのつ、三重県津市)・博多津(福岡県福岡市)・堺津(大阪府堺市)
     ちなみに中国の明誌では日本の三津は、安濃津・博多津に加えて坊津(鹿児島県南さつま市)が堺津と     入れ替わります。
七湊・・・主には大河の河口を利用した湊がほとんどですが。。。
     三国湊(みくに、福井県坂井市)・本吉湊(もとよし、美川湊、石川県白山市美川町)
     輪島湊(わじま、石川県輪島市)・岩瀬湊(富山県富山市)・今町湊(直江津、新潟県上越市)
     土崎湊(つちざき、秋田湊、秋田県秋田市)・十三湊(とさ、津軽湊、青森県五所川原市)

江戸期以前は朝鮮・中国との交易、江戸期・明治には北前船の寄港地として栄えていました。明治2年(1869年)その石川郡本吉町と手取川を挟んだ対岸の能美郡湊村が合併して美川町となっていました。一応、郡名を合わせた町名になります。

明治初期には廃藩置県で金沢県になり金沢に県都が置かれていましたが。明治5年に石川県と改称しています。石川は石をも転がす川と呼ばれた急流の手取川の別名になります。わずか一年とはいえその県庁が置かれたのが美川町でした。つまり、石川県発祥の地と云えます。何故、美川町に県庁が置かれたかは諸説ありますが、初代知事(県令)の内田政風が元・薩摩藩士で、金沢の前田家の影響を嫌ったためと云われています。

しかし、船舶の大型化によって、水深の浅い美川湊は貿易寄港地としては適さず急速に衰退、漁業地として残っていきます。しかし、前にも記しましたが(呉竹文庫 熊田源太郎 )、美川町長を務めた船主・熊田源太郎などが設立した日就会(船員教育施設)によって船長・航海士を多く輩出して戦前中に活躍して、海の町を伝えてきました。とはいえ、戦後は静かな漁業の港町という印象はぬぐえない町になっており、他県の人には認知度の低い町になります。まあ、今は撤去されてありませんが、以前は北陸道から見えた「美川 県一の町」という大看板で名前だけは知っているという人もいますが。。。
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この美川町には、他県でもなかなか見られない特異な名産品が幾つかありまして、その一つが「ふぐの子粕漬・ぬか漬」。猛毒と云われるふぐの卵巣や肝を漬け込むというなかなかのものです。県内では金沢の大野、能登の輪島などに小規模なものがありますが、美川町はこれが大規模で一番の名産品。立ち寄った際には一度お試しあれ。。ただし年数を掛けた商品なのでお値段は覚悟してください。それと、フグはフグ、ちょっとした勇気もいりますね。
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更に町を流れる手取川の支流・熊田川は、日本海側では最南端の鮭の遡上地になります。それほど大きな川ではありませんが、毎年1万匹以上の鮭が遡上するそうです。残念ながら、僕はまだその姿を観たことはありませんが凄いそうです。。

そして、名物の祭りが「おかえり祭り
華麗な台車(だいぐるま)が繰り出され、華麗な台車は県内で1.2を争う華麗さです。メインは藤塚神社の神輿なんですが、その先ぶれを演ずる青年団は、黒紋付き袴に白の鉢巻・襷掛け、古式の進軍ラッパに旗振りなど勇壮で、港町の意気を伝えるものです。当番となる家も正装で出迎え、山のようなご馳走をふるまう伝統行事です。県内でも人気の伝統祭事です。戦後、進駐軍にラッパを禁止警告された時代もありますが今も連綿と使われています。

また、伝統工芸品としては、仏壇の中でも堆黒(ついこく)による細かい文様で最高級とされる美川仏壇。前述のおかえり祭りの神輿や台車にこの工芸が生かされています。更にこの技法を生かした全国各地の寺院内陣・神輿・台車・山車などに生かされています。
衰退する港町の家計の一助としての内職が始まりとされる美川刺繍(加賀刺繍・加賀繍(かがぬい))、仏教伝来とともに伝わった繍仏(しゅうぶつ)が進化して、加賀友禅の飾り足しとして発展したものですが、絹・銀・金糸を縫い込んで華やかな立体感を醸し出すのが特徴です。
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この美川仏壇と美川刺繍技術があるおかげで、美川町の雛祭りには、仏壇技術を生かした段飾りや神殿造が生かされ、更に衣紋掛け(衣桁)に刺繍入りの着物、花嫁のれんが飾られ、更に豪華な金沢・越前の水引や人形が配されます。さらに頭上には吊るし飾りが配されて華やかな演出にかけては県内随一と思われます。



吊るし飾りの発祥はいつ頃かは知りませんが、初期には手毬や縁起物が吊るされていました。その後、先に挙げた名産品のフグ🐡や鮭、おかえり祭りの若衆飾りが加わったようです。
徐々に外に見せるように、3月の雛祭りには各商店や家庭の玄関の飾り窓に吊るすようになって行ったようです。
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数年前からですが、この吊るし飾りを主題に「美川ふくさげ祭り」として打ち出し、石畳と古風な街灯の通りとなる大正商店街を中心に、メイン会場を配して、商店街の各店をお客さんが観られるように店頭に飾るようになりました。

ちなみに「美川ふくさげ祭り」の名称は、名産品「ふぐの子粕糠漬け」のフグ・熊田川を遡上する鮭(さけ)・おかえり祭りの祭りをくっ付けた造語になります。
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まだ、第6回ということで、まだまだ通りなどのイベントが少なく華やかさにはかけますが、銀行や企業を利用した臨時駐車場の整理など少しずつ洗練されて来ているという感じです。今春は駅プラザ・商工会館・もと江呉服店のふくさげ作品展示、仁木邸・大正浪漫館の雛飾り展示などの分散展示で美川の町通りを歩けることを促す設定になっていました。



実は昨昨年、娘と一緒に発酵サミットに訪れて、大正通も歩いたのですが、夕暮れ時で終了寸前であまり見れなかったのです。そこで昨年こそはゆっくり観ようと計画していたんですが、急用が入って断念・・
   昨昨年の様子 ⇒ 我が家の外食日記 持ち帰り編

では、各会場の画像を中心に、華やかなふくさげ飾りをどうぞ

※美川駅のコミュニティプラザホール「ふれ愛」
ここでは、グループ作品の展示や製作体験ができます。
新しいものが多く、ふくさげ祭りの元になるフグ・鮭・おかえり祭り若衆が多く観られます。
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昨昨年はリアルっぽい白黒のフグが多かったと思いますが、今年のフグは木目込み毬と呼ばれる手毬を変形させたものが多いようです。なかなか可愛い
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この会場には創作品が多いようで、昨昨年には見なかった作品が出ていました。中には亀や浜千鳥なども登場していました。駐車場に近いのでここは凄い人出。。しかし、コーナーの中はおばさんモトイご婦人方と小さなお嬢さんたちで混雑@@男性陣は茫然と外から眺めるばかり。。。北陸の男は恥ずかしがり屋が多いのです
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※商工会館展示スペース
展示は多くありませんが、手毬が多く飾ってありました。隣の駐車スペースで仮設テントで「美川うめもん処」を開催していましたが、駅プラザでのんびりしすぎて、2時過ぎになってしまったら見事にすべて完売の文字。。 100個限定のふくさげ弁当、美川十割蕎麦、ふぐの子パスタ、ふぐドラヤキ、ふぐ酒饅頭もすべて売り切れ完売でガックシ

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※仁木邸
立派な門構えの民家の仁木家が展示会場に。。新しい建物でしたが、三部屋の仕切りとなる襖(ふすま)を外すと大広間になる北陸の旧家特有の造りで床柱や和風家具も立派で嫁さんは溜息ばかり。。その大広間に雛人形(立て雛、古典雛、現代雛、ついでに子供の描いたお雛様も)や豪華な水引が置かれていました。天井からは、これでもかというほど、ふくさげが吊るされています。

豪華な越前水引の宝船と羽子板
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京都西陣の古典雛 前には子供さん作成のお雛様^^
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小さい子供さんに人気のコミカルな招き猫の吊り下げ ⇒
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仁木家には珍しい多段飾りの人形飾りが。。おかえり祭りで「おかえり筋」に選ばれた家は、正装して神様である神輿と担ぎ手や若衆を迎えて、酒とさはち料理(蓮根・油揚げ・はべん(はんぺん)・コンニャクなどの煮物・ヌタ他)の酒食を振舞うことになっています。その際に飾られる人形のようです。総勢108名の裃を着た人形は壮観です。

商店街でも一番海側にある展示場・もと江呉服店にはふくさげを染め入れした着物が飾られていました。木目込み毬の作製教室が行われていて、緊張感一杯。。写真が撮りにくい雰囲気で断念^^;

※大正浪漫館
元々はお菓子屋さんだった建物ですが、閉店後は商店街のコミュニティになっています。ふくさげ祭りのメインはここから始まっています。
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雛祭りと云えば、女の子の晴れ着。衣紋掛け(衣桁)に掛けられて展示されています。ちなみにこれらは、お母さんの晴れ着を娘さん用に打ち直したもので、母から娘に受け継がれたものです。

先に載せた画像の神殿造のお雛様、美川刺繍の着物もここで観られます。




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当然、ふくさげも多く飾られていて、奥様方のガイドさんが一つ一つ説明してくれます。
外観の古風な店舗兼住宅だった木造の中には華やかな世界が広がっています。



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嫁さんがウィンドウにへばりついて離れなかったのが、西貞鮮魚店。
いつもならお魚さんが並ぶ場所に、ふくさげと共に並ぶ数々に釘づけ
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金銀糸を使用した美川刺繍の花嫁衣裳、細かい意匠の髪飾り、色鮮やかな花嫁のれん、大きな花魁人形も、よく観れば美川の伝統工芸と繊細な手仕事が施された芸術品です。







イベント自体は離れた展示会場までは寂しい雰囲気がありますが、一歩脇道に入ると、古風な歴史を感じさせる街並みが続きます。商店街通り近くには、美川仏壇の奥義とされる堆黒の装飾がふんだんに使われた正壽寺(しょうじゅじ)、鈴木大拙が書いたという英文が刻まれた鐘のある徳證寺(とくしょうじ)、大正浪漫通りとはまた違った石畳の道・五十鈴通り(おーやけ通り)、北陸では珍しい「几号水準点」が石垣に刻まれている藤塚神社、石川県発祥の歴史を伝える石川ルーツ交流館などなかなか見るところが多い町です。

旅行日 2017.3.18


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