寺津用水

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寺津用水 永安寺第一駐車場

金沢は犀川・浅野川の二つの河川に囲まれた街になります。。この河川の水源を利用して網の目のように用水路が市街に張り巡らされています。その数は55用水と云われています。歴史を紐解けば、金沢の町は用水路の開削と共に新しい町が出来て来たと云えます。これらの用水路は道路沿いに流れが多く観られます。

長町の武家屋敷通りや片町・香林坊の裏道のせせらぎ通りに観られるように、道に沿うように用水路が流れ、生活用水・灌漑用水・防火用水はもちろん、各家や屋敷に曲水として取り入れて庭園の池水にしたり、加賀友禅を始めとした工芸品の貴重な源泉にもなっていたわけです。また、雪国の悩みの種である除雪の捨て場としても利用されていました。江戸時代から明治にかけて金沢の町は用水路が張り巡らされ、水と共に生きる町だったわけです。



ところが文明開化の波が押し寄せた明治以降、農地改革や電気事業の進歩で用水事業はますます必要性を増したのですが、自動車や電車の発達には水路は非常に邪魔な存在とされてしまいました。更に戦災や大災害がなかったために区画をいじるわけにはいかず、水路分を道路にするということしかできなかったのです。
このために暗渠といって、水路に蓋をしたり、上部を塞いだり潰して、道路として拡張する必要に迫られてしまいました。
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寺津用水遊歩道

更に中心街となる金沢城のお堀。元々、用水路からの水を取り込んだ堀で、金沢城の城郭は囲まれた城でした。更に外側には石川門下の4車線道路は百間堀、一部が残る白鳥路・大手堀通、再建された宮守(いもり)堀の通り、現在復元中の鼠多橋の道路と、外周は堀になっていました。つまり現在は、外堀が一部を除くと、全て道路に変貌してしまっています。更に内外惣構の堀があったわけで、平城ながら二重三重の水堀の要害になっていました。江戸後期まで水の町だった金沢は、お堀が埋められ、惣構も崩され堀も多くが埋められ、用水路の多くが暗渠となって道路の下になっているのです。

ところが、新幹線の開業前くらいから観光重視を打ち出した金沢市。景観を見せるにはやはり外せないのが用水路ということで、徐々に蓋をされた道路の撤去と整備で暗渠を開渠にする景観の復元がそこかしこで見受けられるようになってきました。梅雨が明けるとフェーン現象によって高温多湿の金沢では用水路の流れは気分にも涼風にも良いというわけです。


以前紹介しましたが、金沢城の内外堀・兼六園の水を満たしたのが、金沢の用水路として一番最初に造られた土木の神様・板谷兵四郎が設計・指揮した寛永9年(1632年)完成の辰巳用水になります。逆サイフォンまで駆使した総延長約12キロの辰巳用水は板谷兵四郎が作った際の導水管は木管でしたが、その後、導水管は石管に変更され、現在も現役で水を供給しています。その後、長町の武家屋敷を流れる大野庄用水、西惣構堀の水や菜種油を絞る水車に使用され、現在は香林坊裏のせせらぎ通りを流れる鞍月用水が整備されて行きました。

これらの三用水の余剰水は郊外の灌漑も担ったのですが、、金沢城下を流れる前述の三つの用水の後に完成したと云われるのが寺津用水になります。辰巳用水の開削は金沢城下に水をもたらしたのですが、名前のように現在の末町浄水場のお隣り・辰巳町に取水口がありました。当然、金沢への余剰水が灌漑用にすぐ下流域の末西部・涌波・笠舞といった地域の農地や荒れ地の開発に利用され、大きく整備、見違えるように農地や宅地が増えて行きました。
現在は交通量の激しい上記の三地区は江戸初期には荒れ野で、一番金沢城に近い笠舞などは夜は誰も訪れないということで、丑の刻参り(猿丸神社)が行われていた場所です。
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現在の末町東部地区
辰巳用水によって見る見るうちに開墾されて発展する姿を観て、羨んだのが土清水(つっちょうず)、末町東部、辰巳町や東部の高台の住人たちでした。辰巳町に取水口があるとはいえ、そこからは隧道を使用しているわけで、地元にはほとんど恩恵は無かったのです。その後、取水口は上流の辰巳ダム手前の東岩に移りましたが、状況は同じです。現在の犀川浄水場から開渠があるため、その下流域にしか恩恵はもたらされなかったのです。

正保3年(1646年)、前述の意見を代表して浪人・田中覚兵衛が藩に言上、寺津用水開削が検討されました。山裾を開削するために6割が隧道になる難工事、更に高台で土地が違うとはいえ、辰巳用水とは300mと近接していて、開墾地区が限定され(試算では100ha、1000石程度)造る意味があるか、藩上層部では意見が繰り返し対立、その度に再検討、棚上げが繰り返されて20年。度重なる住民の陳情に加えて、辰巳用水の取水口の不良が起こり、補完用水として寺津用水が決定され、1年間で完成したと云われます。
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勉強不足で多くは不明ですが、田中覚兵衛については浪人とはいえ、藩重役に言上できるんですから、それなりの家格や村のまとめ役だったように思われます。経王寺前の地から山崎村の住民が移転させられた上野新村(現在の笠舞1・小立野3・三口新町3)、三口新村(町)、涌波新村(町)といった開墾地の村立ち上げに係わっていたようです。

前述の様に、寺津用水は当初は辰巳用水のバイパスとして造られたのですが、藩政期・明治期・近世となるごとに重要性を増し、金沢市にはなくてはならない存在価値を放つようになります。

藩政期には土清水塩硝蔵(黒色火薬製造所、現在の涌波1・涌波町)が置かれました。当時、質量・規模ともに全国一の製造工場でした。この火薬製造・防火処理に欠かせない用水として辰巳用水が使われましたが、補完用水として寺津用水の水もあてにされていたと云われます。

明治33年(1900年)、寺津用水上流部に金沢市最初の水力発電の辰巳発電所が完成。戦中の一時期国営になっていますが、昭和38年(1963年)金沢市営に譲渡され、全国唯一の市営の電気事業者が誕生しています。昭和46年に新辰巳発電所が完成、取り水改良で増強され現在に至っています。
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昭和5年に金沢市内に上水道が給水開始、昭和7年(1932年)、末浄水場が完成しています。この末浄水場の水源は、やはり寺津用水になります。ちなみに金沢市には近くに内川を水源にする犀川浄水場がありますが、この二施設が金沢市の水道を市内全域に給水しています。ちなみに水道も金沢市営で企業局が管理しています。歴史ある末浄水場の園地は幾何学的な洋風整形式園地として国の名勝指定を受けていますし、各施設の多くが登録有形文化財指定を受けています。庭園はいつでも見れますが、出来れば一般公開が年4回ほど行われているので、施設も観れる日が狙い目。

寺津用水は数ある金沢の用水路の中でも、当初の補完バイパスの立場から現在では、金沢の生命線を担う用水路になっています。前述したように6割以上は隧道を利用しているために用水の姿を観られる箇所は限られますが、一番長い開渠は末浄水場の北側を施設と崖面の間に沿うように流れる部分。しかし公開日以外の一般者の入場禁止の施設のためになかなかその流れは見られません。
最終部・排水口(錦町・遊学館練習グラウンド南端)の手前もみられますが、これまた、未整備で起伏で狭く、少し見辛い場所。。
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寺津用水遊歩道のご案内
【延長】   約10.7キロ(用水総延長)
【完成年】 寛文5年(1665年)
【成り立ち】 正保3年(1646年)、浪人・田中覚兵衛が藩に言上し、その後、寛文4年(1664年)に改作奉行の指揮の下で工事が始められ、翌年完成した。現在の末町・土清水町辺りの台地を灌漑するために造られた用水で、犀川最上流に位置し、辰巳用水以上に長い隧道(ずいどう、現存)を通っているのが特徴である。明治33年(1900年)、用水の水を利用した金沢市最初の発電所・辰巳発電所が完成し、送電を開始。その後昭和46年(1971年)、金沢市営の新辰巳発電所が完成し、営業運転を始めた。また、昭和5年(1930年)以降、金沢市内の上水道としても利用されている。
【現在】  犀川上流の犀川ダム下流右岸で取水している。末町から館山地区の山すそを巻くように流れている。周辺には豊かな自然が残されており、現在、用水沿いに遊歩道整備が行われている。


寺津用水の流れが美しく観られる場所が、末浄水場から永安寺のある館山町にかけてになります。
特に永安寺の第一駐車場から末浄水場まで遊歩道が整備されていて、なかなか美しい遊歩道になっています。この遊歩道、辰巳丘高校、金沢学院短大・大学、金沢学院(金沢東)高校の通学路や近道にもなっています。

そうそう、辰巳丘高校は公立では珍しい芸術コース(音楽・芸術専攻)、外国語コース(英語・中国語専攻)のある学校。校歌・学生歌は五木寛之作詞・山崎ハコ作曲「大きな明日へ」他 ⇒ 学生歌・愛唱歌
YOUTUBUは、学生歌2番・卒業歌「友を送る歌」 山崎ハコ唄 動画の最初の建物は辰巳丘高校校舎、塔にはカリヨン

山崎ハコさん、高校・学生の頃好きだったなあ。。当時、荒井由実「飛行機雲」が出た頃で多くはユーミン派が多かったけど、僕はハコ派でしたねえ・・「サヨナラの鐘」「歌いたいの」「気分を変えて」は名曲だと今も思う。僕がクラシック以外で学生時代にライブアルバムを買ったのは、後にも先にもこの人だけ^^;

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永安寺 弁天堂  第一駐車場から~~

辰巳丘だけ書いて金沢学院(金沢東)を書かないのは不公平。。というより、この両校は僕が新潟に10数年以上離れた間に出来た高校でした。金沢学院大は重量挙げ・トランポリン・飛び込みなどで八木かなえ・岸彩乃・中川真衣さん、ほか、オリンピック選手を輩出しています。僕の高校時代、金沢学院の前身の金沢女子短大・高校でしたから、あまり縁はなかったんですが、、私立では金沢では星稜・金沢以外は女子高ばかりでした。で、そこは僕たち男子生徒には羨望の学校@@; ちまたでは、女子生徒や親たちから北陸学院(僕らはミッションと呼んでました)は制服のセーラーが可愛いと今でも人気が高いんですが、男子からは金沢女子短大付属(僕らはジョシタンとよんでました。)の女の子が粒ぞろいで可愛いと評判でした。 女子ソフトが当時母校は強くて、県内のチームが練習試合や大会で来ていましたが、当時、全国優勝経験のある母校や門前高校に次ぐ強豪だったジョシタンもよく来ていましたが、母校はそっちのけでジョシタンを男子が応援、後でよく同級生のソフト女子から怒られました^^;

実は今回は永安寺を書こうと思ってたんですが、駐車場の前置きで終わってしまいました。
次回は永安寺ということで。。。金沢市内では、伽藍はそうでもありませんが、境内の敷地面積は一番広いかも。。。

旅行日 2018.04.02 







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