粟津(あわづ)温泉

画像粟津温泉総湯前 開湯の碑

11月にいつも行く粟津温泉近くのお客さんの所。でも昨年に続き、早く行き過ぎて一時間ほど時間調整をすることに、ということで、昨年は文字だけになってしまった粟津温泉の中心地の風景を散策してきました。

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昨年の記事は・・・ 
2017.11.09 粟津温泉 おっしょべ公園     
旧養老公園 祈りの小径     
養老山 大王寺     粟津白山神社 

粟津温泉の起源は、白山開山・平泉寺創建を行った泰澄大師が、翌年の白山登頂から丸岡・豊原寺への帰路。霊夢に現れた白山権現のお告げによって、住民を集めて掘削させ温泉を発見。弟子の雅亮法師に湯守となることを命じ、雅亮法師は還俗して名を(法師)善五郎と改め湯宿をつくります。これが粟津温泉並びに世界最古第三位の温泉宿・法師の起源になります。
画像粟津温泉街に向かう玄関口に立つ泰澄大師像

まずは粟津温泉中心地から離れた産業道路(国道8号線)の津波倉東ICから見える泰澄大師立像

塔のような土台に立つ泰澄大師像は近くで見るとやっぱり高い@@ 粟津温泉の玄関シンボルと云えます。石組仕立ての土台もよくも建てたという灯台のようです。

泰澄大師は越前・麻生津に生まれたと云われ、生まれながらに白髪だったと云われます。
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14歳で出家・法澄と名乗ります。役小角と共に愛宕山の悪霊退治・開山、神社建立で名を挙げ、大宝2年(702年)に文武天皇から弱冠20歳で鎮護国家法師に任じられ、北陸白山信仰の本拠として丸岡に豊原寺を創建しています。
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養老元年(717年)35歳で白山開山、後の越前馬場・平泉寺を建立しています。その翌年に粟津温泉を開湯しています。その後は北陸を中心に各地の山岳を開山しながら信仰と修行の旅を続けています。

養老6年40歳には、老齢により病平癒に失敗した役小角の推薦で、元正天皇の病平癒を行い神融禅師号。天平9年(737年)55歳時に疱瘡流行を収束、天平宝宇2年(758年)76歳で最初の修業地・越前の大谷寺に帰山。
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天平宝字8年82歳にこの功で称徳天皇から正一位大僧正位と僧侶の最高位についています。この時に泰澄の名も受けています。ですから、活躍した時の実質の名前は先の法澄といえます。
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神護景雲元年(767年)85歳死去。墓所は泰澄の杜・大谷寺の九重の塔と云われています。

大師像の側にクヌギや多くの木が植樹されていますが、このような花も咲いていました。山茶花だと思いますが、もしかしてツバキ。。肌寒い日で冬枯れの気配も感じられる中で、ピンクの花がとても綺麗でした。

泰澄大師像の道を進むと、粟津温泉街の北口から入ることになります。最初に眼につくのは、公園の奥に観える仲良く語り合う男女の像。この公園というか庭園に近いものですが、元々、粟津温泉の老舗旅館の一つだった「喜多八」の庭園敷地の一部に当たります。温泉訪問客の散策用にに提供したもの。。
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この男女は竹松とお末というカップルで、江戸初期と云われる恋物語の主人公。。
昨年のブログ(2017.11.09 粟津温泉 おっしょべ公園)から抜き出すと・・・・お末・竹松の恋物語(おっしょべ恋物語)

むかしむかし、今から四百年ばかり前のことです。粟津温泉の宿屋にお末が奉公しておりました。年の頃は十六、七、瞳は黒く、頬はリンゴのように赤く、愛くるしい顔立ちでありました。
ある日のこと、向かいの宿屋に奉公している竹松を見染めました。竹松は色浅黒く、凛凛しい面構え、いつも黙々と働いています。
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或る雨の降る宵、彼女は切ない装いを胸に抱いて窓にもたれていると、竹松の横顔が夜空にボウと浮かぶのです。彼女はたまらなくなって、行燈の火を消し、下へ降りて行きました。
竹松の宿屋の玄関脇に大きな松の木があります。お末はその松の木によじ登り、竹松の部屋を目指して、屋根の上を猫のように這っていきました。

ところが雨に湿った木羽板を踏みしめたお末は、あっという間に軒下の草むらへ滑り落ちました。物音に驚いた人々が雪洞(ぼんぼり)で照らしてみると、あの可愛いお末が腰をひどく打って倒れているのです。翌日、お末の大冒険は粟津の湯の町に広がりました。
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事の次第を悟った竹松は、お末を駕籠に乗せて、粟津から二里ほど離れた故郷の江指まで連れて行きました。あくる四月、お末と竹松は、めでたく結ばれました。

★おっしょべ祭りの「おっしょべ」は、お末ベー(お末べえ)が訛ったものです。 「北陸・あわづ百科 温泉草子」より

このお話は江戸初期のものと云われています。結ばれた二人はその後も粟津に努めて、仕事終わりや休日には町内を二人で歩いては愛を育んでいたようです。粟津の人たちにも、お末の冒険談と共に笑いと暖かい眼で観られていたようです。

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二人がデートする際に待ち合わせたのが、おっしょべ公園にあるおっしょべ滝の前でした。その滝と二人の微笑ましい姿を再現したものです。
滝の水が流されていませんでしたが、滝の奥に、他者・相手への心がけを通じて相互の喜びに導くとされる不空羂索観音(ふくうけんさくかんのん)がいました。どこにいるか解りますか、アップすると解ります^^;たぶん^^;
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この庭園のお隣にあるのが粟津演舞場(国登録有形文化財)。
昭和8年(1933年)、全国旅館組合協会の総会の会場として造られた劇場です。最盛期には松竹少女歌劇団・関西歌舞伎・芸妓公演・映画上映などに使われていました。しかし、劇場として使われたのはほんの10年程で、戦争突入と共に軍需鉄工所とされ、戦後は喜多八の旅館別館から社員寮そして倉庫となり、温泉不振と共に打ち捨てられた状態でした。平成19年(2007年)より温泉地復活の起爆剤として有志によって調査・復元がなされています。内部の舞台や桟敷は部分的に熊本山鹿の八千代座を見本にしたと云われています。八千代座に比べるとずっと小振りですが、美しい舞台劇場になっています。特に外観は劇場らしさを取り戻しています。平成26年にリニューアル公演で復活しており、翌翌年には国登録有形文化財となっています。
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石川県内では黒瓦が主流ですが、能美・小松では茶色い瓦屋根が多いのですが、こうやって劇場の屋根に使われてみると柔らかさと華やかさが感じられますねえ^^軒先に配された懐かしい電飾も味わいを感じます。茶の瓦・白漆喰・木の目の板壁の柔らかい色調がいいですねえ@@
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僕がここに訪れる水曜日が定休日で、未だに内部は見たことが有りません(T T)、、、昨年同時期に粟津に訪れていたgoさんが舞台に立って演奏しています。内部もバッチリ撮られています。 ⇒ 2017.11.16 三線教室発表会
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上:粟津温泉総湯
演舞場から200mほど進むと粟津温泉の総湯があります。平成20年8月に完成したばかりで、新しいもので、温泉街に溶け込むように平屋の和風造り、浴場も大浴槽一個のシンプルなものです。名物は温泉卵^O^ 入湯料・大人420円

中:粟津温泉総湯源泉
よくある温泉地は共同に源泉地から総湯管などで、各施設にお湯を回しているんですが、粟津温泉は地下に温泉帯があるために各温泉施設で自家掘りしています。だから、施設(温泉宿・ホテル・旅館)はみんな直接の源泉かけ流し^^ 白山の温泉特有の無色透明、肌に滑らかな湯質。ただ、自家掘りだから、場所によって微妙な違いがあるとか^^;

下:総湯から表通りに向かう散策路
遠くに見える赤い橋は「おっしょべ橋」、気になる人と心をつなぐ恋の架け橋、恋人の聖地として赤い糸に見立てた赤い欄干の橋。
手前でお風呂に入ってるゆるキャラは小松市のマスコット「カブッキー」。安宅関があり、勧進帳の弁慶がモデル。。子供歌舞伎も行われる歌舞伎の町・小松のマスコット。個人的に石川県内のゆるキャラでは僕はこれが一番好きですかね。
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総湯前の道に出ると道路の真ん中に大きな杉の木があります。黄門杉と呼ばれています。
黄門というと水戸黄門の徳川光圀を連想すると思いますが、黄門というのは中納言の唐名になります。この杉は加賀黄門(権中納言)・前田利常の手植えしたことから名づけられている杉になります。ちなみ利常の藩主時代、江戸上屋敷の門は、黄門の名に由来する秦・漢時代の禁門の色に倣って、黄色に塗られていたそうです。
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寛永16年(1639年)加賀藩主を隠居した利常は、隠居領として小松・能美20万石を受けて小松城を隠居城とします。翌年、領内視察を兼ねて鷹狩に出た利常は荒廃した那谷寺を発見し、近くの古い歴史を持つ粟津温泉が気に入ります。翌年から2年がかりで那谷寺の伽藍を再興するとともに、別邸と庭園も整備しています。更に街道の整備も行い街道の両側に杉を植えて「杉の木街道」と呼ばれていました。利常の思惑としては那谷寺の別邸に住まい、粟津の湯に癒されるという悠々自適の暮らしを望んでいたと思われます。
しかし、正保2年(1645年)加賀藩を継いだ長男・光高が急死、跡を継いだのは僅か3歳の綱紀で後見として加賀藩の藩政と教育を見ることとなり、小松・金沢の往復に忙殺されています。自分好みの別邸と粟津の湯にゆったり浸かるという望みを遂げたのは僅か1.2年間しかなかったと思われます。

明治14年(1881年)粟津町を焼いた粟津大火の際に、この黄門杉によって火が止まり、開湯の泰澄大師、大王寺にある泰澄が刻んだという聖観世音菩薩像と携行した掛佛薬師如来と共に粟津温泉のシンボル的存在になっています。道路上の為、樹勢に阻害を受けて鉄柱などに支えられていますが、上部の葉は勢いを保っています。樹高20m・目通し幹周3m。
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黄門杉の隣に立つ温泉旅館が法師粟津温泉発祥の湯はこの旅館の湯になります。
前述したように、泰澄大師の命により、還俗した雅亮法師こと法師善五郎から数えること46代・1300年の歴史を刻み続ける北陸最古の悠久の温泉旅館です。 ⇒ 法師HP
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粟津温泉の西側の高台にある住宅団地・南陽台にある溜め池で泳いでいる鴨を観ていたら、車のオイルランプが点灯@@; そういえばオイル交換をサボっていたなあ。。。
みなさん、日頃のメンテナンスはお忘れなく、、、帰り道に慌てて補充ついでにオイル交換^^;

旅行日 2018.11.13




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